現・神功皇后陵 狭城楯列池上(さきのたてなみいけのへ)陵
五社神古墳 (ごさしこふん)

陵印

奈良県 奈良市山陵町(みささぎちょう) 宮ノ谷

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 神功(じんぐう)皇后は第14代仲哀天皇の皇后、応神天皇の母で、息長帯比売の命(おきながたらしひめノみこと)という名前もあります。 仲哀天皇が筑紫(九州)で亡くなった後、子(後の応神天皇)を宿した腹に石を結んで出産を押さえ、表筒男命(うわつつノおノみこと)、中筒男命、底筒男命ら住吉三神の助力で、福岡玄海町から新羅討伐にみずから船出したと伝えられています。 江戸時代までは第15代天皇として歴代天皇に数えられていました。
 古事記には「狭城の楯列の陵に葬りまつりき」ということで宮内庁はこの五社神古墳に比定しています。
 五社神古墳は佐紀古墳群の中では最も大きく、また最古とみられる古墳で北西地域(近鉄平城駅の北側)に位置し、 全国的には桜井市にある最古の古墳、箸墓に続き12位の大きさです。
 また、後円部西側にある2基の円墳と1基の方墳が陪塚と考えられています。
 右の陵印は奈良県のIさんのコレクション画像をいただきました。天皇陵の陵印は例えば奈良県では神武天皇陵( 畝傍陵墓監区事務所)に行けばまだ入手できますが皇后陵は昔のを探すしかないようです。これは昭和15年のものです。


規模 単位:m
墳形全長後円部径後円部高前方部幅前方部高くびれ部幅くびれ部高年代
前方後円墳2751952315527  古墳時代・前期後半
4世紀後半〜5世紀初め




看板

宮内庁の作った看板(制札)

拝所

拝所


 奈良盆地には三大古墳群とよばれる古墳群があります。奈良県天理市から桜井市の山麓「山の辺の道」にそって分布する大和(おおやまと)・柳本古墳群、奈良盆地西部の大和高田市から北葛城郡広陵町にかけて、馬見丘陵やそのふもとの分布し、葛城氏の墓域ともいわれている馬見(うまみ)古墳群。それとこの五社神古墳(現・神功皇后陵)が含まれる奈良市中央部の平城宮跡の北方に分布する佐紀楯列(さきたてなみ)古墳群です。
地図

前方部 後円部

前方部

御前池を越えて後円部




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猫 このページは2009年 2月 8日に更新されました。
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